新卒でベンチャー企業を選び、新規事業の⽴ち上げから事業責任者、そして⼦会社の取締役へと華やかなキャリアを積んでこられた杉之原さん。その道のりではどんな悩みを抱え、どんな努⼒で克服してきたのでしょうか。


Mentor's Profile
杉之原明子さん
アディッシュ株式会社取締役。早稲⽥⼤学教育学部卒業後、IT系企業ガイアックスに就職。学校⾮公式サイト対策の「スクールガーディアン」事業の⽴ち上げおよび責任者を経て2014年、アディッシュ取締役管理本部⻑に就任。管理部⾨をゼロから形成。また上場プロジェクトの先導役となり、2020年3⽉に上場を果たす。2021年4月より、特定非営利活動法人みんなのコードCOOを兼任。1986年生まれ。

⼥性のキャリア継続は予測不能…それなら若いうちに経験を積める選択を。


――華やかなキャリアでご活躍の様⼦が伝わってきますが、⼩さい頃からキャリア志向だったのですか?
幼い頃から⺟に「経済的に自立した人になるよう、良い学校、良い企業に⼊って、ずっと働き続けなさい」と⾔われて育ちました。その教えに従って思春期は熱⼼に勉強に取り組んだのですが、⼤学時代に、偏差値的な思考と就職活動はリンクしないと気づいて。⼤学も留年しましたし、就活もうまくいかず。インターンとして入社したのがガイアックスです。結果的に、新卒としてもそのまま⼊社することになりました。


――IT 系のベンチャー企業であるガイアックスを選んだ理由は?
いくつか理由があるのですが、当時、私は新規事業立ち上げのチームに配属されました。その熱量に魅了されたこと、⼀緒に事業⽴ち上げに携わっていた3歳ほど年上の⼥性上司に惚れ込んだこと、また⼤企業と天秤にかけたとき、⼥性はいつキャリアが中断するか予測できないところがあると考えると、20代で事業責任者になれるような環境を選んだ⽅がいいと思ったからです。


――ロールモデルとなる⼥性についてもう少しお聞かせください。
スーツをビシッと着て、ピンヒールを履いて颯爽と働く姿は、⼤学⽣の私にはとても眩しく映りました。当時、「スクールガーディアン」という学校非公式サイト対策事業を⽴ち上げていたのですが、⼦どもたちがどういった力を育んで社会に出ていってほしいか、ということと真摯に向き合っていました。また、上司がふと言った「⼥性であることは強みでしかない」という⾔葉が印象に残っています。

⼊社時の⽬標を叶え、30代を⾒据えたとき「このままでいいの?」

――その彼⼥に憧れて事業⽴ち上げに奔⾛してきたのですね。
実現したいこと、やらなければいけないこと、とにかく仕事がとても楽しくて、⼟⽇返上でガンガン事業を⽴ち上げる⽇々を送っていたのですが、新卒3年目のときに、20代で事業責任者になりたいという⼊社時の夢が叶ったときにふと、その先の⼈⽣について考えたんです。30代も、私はずっとこんなふうに、⻑時間労働を続けるのかなと悩んでしまって。それで、公務員試験を受けたんです。


――公務員試験とはまた、いきなりですね!
当時、深⽥恭⼦さんが主演していた「TOKYO エアポート〜東京空港管制保安部〜」というテレビドラマに影響されて(笑)。それで公務員の塾に通い、試験に合格。航空保安⼤学校に入学するつもりでいました。


――さらっとおっしゃいますが、すごい⾏動⼒だし、狭き⾨ですよね?広くはなかったですね。
それで会社に退職を申し出たのですが、ちょうどそのタイミングで、⼦会社の⽴ち上げに関わることになったんです。どちらを選ぼうかと、半年くらいはモヤモヤと迷っていました。


――会社に残る道を選んだのは何が決め⼿になったのですか?
⾃分が働く喜びってなんだろう? と⽴ち⽌まって考えたんです。その答えとして「⾃分が 挑戦することで、⼀緒に働くメンバーが幸せになることだ」という表現をしました。私にとってはその「⾃分が挑戦し続ける」ということがすごく⼤事だなと。その視点で⽬の前の⼆択を⽐べたとき、公務員で環境をガンガン変えている⾃分の姿は想像しにくかったのですが、新しい会社を⽴ち上げて、そこで会社の⽂化や働きやすい環境づくりのために⼿を動かしていく姿を想像する⽅がワクワクしたんです。


――杉之原さんにとって「挑戦」とはどういうものを指すのでしょうか?

当時、頭に描いていた「挑戦」は、会社という資本主義の環境の中でとにかく成⻑するイメージが強かったと思いますが、上場という節⽬を経て、その成長軸は達成した感があります。今は、「経営者や経営 層に⼥性が少ない」という課題に対して動きたいと思っています。そう考えると、いまの私にとって「挑戦」とは、社会とつながって⽣きることとか、⼈の役に⽴つことかもしれません。

新たに⽴ち上げた管理部⾨は、⾃分以外、全員時短勤務。

――子会社を設立し、そこで、バックオフィスへキャリアチェンジをしたわけですね。
会社を設⽴した1年後にようやく管理部⾨を⽴ち上げることになり、私を含めて4⼈の⼥性メンバーでスタートしました。私以外は、全員⼦どもをもって働くメンバーだったんです。それは私にとってすごくいい状況でした。私⾃⾝は家庭を持っていませんが、子どもをもって働くということを目の当たりにすることができました。


――フルで働けない⼈たちと管理部門の立ち上げ、不安はありませんでしたか?
不安ゼロでしたね(笑)。管理部⾨をスタートさせたいという思いが強かったので、時短勤務は私にとっては些細な問題でした。一緒に管理部門をつくりませんか、と3⼈とも私がスカウトしたんです。むしろ問題は、私⾃⾝が管理部⾨の知識や経験がなかったこと。素⼈管理部⻑がプロたちを率いるという構図に、罪悪感のようなものがありましたね。


――それをどうやって乗り越えたんですか?
⼿探りで⾃分の役割を探すなかで、次第に⾃分にしかできない仕事が⾒えてきました。上場に向けて、管理部⾨と会社全体を⾒渡しながら基盤を調整することとか、メンバーひとりひとりの動機をすくい上げていくこととか、社内外のリソースを使って 牽引していくこととか。そういうフォロワーシップ的な⽴ち回りが⾃分のスタイルだと思えるようになるのに、3年くらいを要しましたね。新規事業を率いていた頃は、⾃分が事業のことを全てわかっていたのですが、管理部⾨になってからはひたすら、何もわからない⾃分がどうすれば役に⽴てるのだろうと模索していたと思います。

「役員に⼥性が少ない」という構造を変える取り組みへ


――現在⼥性経営層として、感じていることはありますか?
個⼈的には、経営層に近づけば近づくほど、自分が女性であることを意識せざるを得ない構造になっているなと感じます。アディッシュも、役員の⼥性は私⼀⼈ですし、ガイアックスにいた時の経営会議も一人でした。そんな中で、私⾃⾝は結婚も出産もしていないのに、⼥性の代表のように捉えられて期待されたていら困るなという気持ちがありました。アディッシュを創業から5年間、管理本部⻑として、個⼈が声を上げられる文化をつくることに注⼒してきましたが、役員に⼥性が⼀向に増えない現実もあり、構造を変えることにようやく取り組み始めました。日本としても、「難しい問題だよね」とアクションが停滞してきた状況を前進させる対話にチャレンジしたいと思っています。


――是⾮ともアディッシュさんから⽇本に広げてほしいと思います。
冒頭の先輩上司が⾔った「⼥性であることは強みでしかない」という⾔葉、当時は、その⾔葉の含む意味はわかりませんでしたが、その⾔葉を⾔ってもらえていたおかげで、男性ばかりしかいない取締役会に⼊ることは、それ⾃体がチャンスなんだと、マイノリティであることを前向きに捉えられていると思います。

少しでもチャンスがあるなら、バッターボックスに⽴つ道を選んで


――では最後に、他の⼥性の皆さんに働く上で伝えたいメッセージを。
少しでもやりたいとかチャンスだと感じることがあれば、まずはイエスと答えてみてほしいと思います。道中にはいろんな問題もあって、言葉を飲み込むこと、諦めることもたくさんあると思いますが、特にキャリアの最初のうちは、「仕事はイエス or はい」の精神で、できるだけ多くバッターボックスに⽴ってほしいと思います。その積み重ねが、思ってもみなかったチャンスを掴んだり、キャリアの広がりにつながるのではないでしょうか。


――キャリアに悩んでいる⽅、リーダーシップに悩んでいる⽅、多くの⽅の⼼に響くお話をお聞かせいただきました。ありがとうございました。


取材:(株) Clarity公式メンター 鈴木さくら、ライティング: 吉野ユリ子


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